“二酉日,行将枯寂杂司谷 石田波乡”。日前二酉日(注:11月份第二个酉日,有庙会。第三个酉日称三酉日)的时候,东京吹起了第一阵秋日的金风。也不限于树木众多的杂司谷,市内也是枯叶狂舞。
在日比谷的“乡土之林”中,山毛榉和银杏的树叶也飘落满地。那是公园的一角,那里种满了全国各个都道府县以及指定城市所捐赠的树木。从冲绳的琉球松到北海道的虾夷松,每个地方一棵。
因其靠近官厅街主干道,饱受汽车尾气之苦。能在与故乡洁净的空气和气候完全不同的环境中生存,也真够顽强的。据说去年青森的丝柏枯萎了。
心想着地震的事,我找了一下来自新泻的树,发现那是一棵雪山茶。浓绿的枝叶,光灿灿精神抖擞。树叶间,小指尖大小的花蕾隐约可见。约有一百多个。就在给雪国报道春天消息的山茶旁边,来自福岛的山毛榉已是枯叶满枝,悄然欲落。
“三酉日,世间也沉寂 子规”。有道是,有三酉日的年头多火灾,今天就是三酉日。在那枯叶飘零的大街上,吉祥的耙子(注:酉日的庙会上有卖的一种挂有饰物的耙子,据说买了带回家能带来好运)正在来来往往吧。往后气温会下降,应该有冬天的感觉了,但秋老虎的异常厉害倒叫有点儿担心。
——明年,有一个地方,一起去好吗?——去哪里?——酉日的庙会呀……。这是久保田万太郎的短篇《三酉日》(讲谈社文艺文库)中描写在若无其事的谈话中蕴藏着的男女间微妙关系的一节。然而,那女子没等到来年的酉日庙会,就撒手西归了。在小说的末尾,作者放了一句俳句。三酉之月,高远又无常。
〈二の酉やいよいよ枯るる雑司ケ谷 石田波郷〉。先日の二の酉(とり)の頃、東京では木枯らし1号が吹いた。樹木の多い雑司ケ谷に限らず、街中(まちなか)で、さかんに枯れ葉が舞う。
日比谷公園の「郷土の森」にも、ケヤキやイチョウが散り敷いている。全国の都道府県や指定市から寄贈された木を植えた一角だ。沖縄のリュウキュウマツから北海道のエゾマツまで、1本ずつ立っている。
官庁街の幹線道路の近くで、排出ガスをかぶる。郷里の清浄な空気や気候とは随分違う環境の中で生きるのは、なかなか骨(ほね)だろう。去年は青森のヒバが枯れたという。
地震のことを思いながら新潟の木を探すと、高さ2メートルほどのユキツバキだった。葉は緑が濃く、つややかで元気そうだ。葉の間に、小指の先ほどのつぼみが見える。百個以上はありそうだ。雪国に春を告げるというツバキに、隣の福島のケヤキが、そっと散りかかっていた。
〈世の中も淋しくなりぬ三の酉 子規〉。三の酉まである年は火事が多いなどともいうが、今日が三の酉である。枯れ葉の街に、熊手が行き交うことだろう。これからは気温が下がり、冬の気配が感じられるようになるはずだが、夏の力が異様に強かったのが気がかりだ。
――来年は、一つ、一しょに行こうか。――どこへ? ――酉のまちへさ……。軽妙な会話に仱护颇信螜C微を描いた久保田万太郎の短編「三の酉」(講談社文芸文庫)の一節である。しかし、女は翌年の酉の市が来るのを待たずに他界する。末尾に、一句が置かれている。たかだかとあはれは三の酉の月。