100103冬日读书
日本の子どもたちは冬休みのさなかだろうが、古い時代の中国には「冬学(とうがく)」なるものがあったそうだ。農村の子らを農閑期に学ばせるために、冬にだけ開かれる寺子屋のようなものだったらしい。
眼下,日本的小孩子们都在度寒假吧。而在古代中国,据说有所谓“冬学”的做法。那是一种仅在冬季开设的私塾,专为农村的孩子在农闲时学习。
かの国では、読書にふさわしい季節も冬とされていた。本を読むのに適した「三余(さんよ)」という余暇があって、雨の日と夜、それに冬のことを言った。それなら冬の夜は、またとない好機ということになろうか。江戸時代の日本の漢詩人、菅茶山(かんさざん)に「冬夜読書」という作がある.
在那个国家里,冬季也被认为是适合于读书的季节。适合于读书的“三余”之闲暇即为:雨天、夜晚还有冬季。如此说来,冬季的夜晚简直就是不可多得的读书好时机了。江户时代的日本汉诗诗人菅茶山(1748年2月29日~1827年10月3日)有一首名为《冬夜读书》的诗作。
「雪は山堂を擁して 樹影深し」に始まり「一穂(いっすい)の青灯 万古の心」で終わる四行の絶句は、雪の夜に書物をひもとく喜びを伝える。「一穂の青灯」は燭台(しょくだい)の明かり。「万古の心」は書物の伝える古人の思い。歌人の土岐善麿はこのくだりを「ともしびに面影立つや昔びと」と風雅に意訳している.
这是一首四言绝句,头句“雪拥山堂树影深”,末句“一穗青灯万古心”,表达了诗人在大雪之夜开卷阅览时的喜悦。“一穗青灯”指烛台灯火,“万古心”则是书中所传达的古人的思想。和歌诗人土岐善麿将这一句风雅地意译为“灯影里,古人面貌似可见(译注:原句为俳句形式。)”
元日の小紙の別刷り特集が、今年は「国民読書年」だと伝えていた。読むことを通じて豊かな言語力を育むのが目的という。読書は受け身に見えて、実は脳をフル回転させる営みであるらしい.
本报的元旦特刊报道了今年是“国民读书年”的消息。据说其目的在于通过阅读培养丰富的语言表达能力。读书的过程看似被动,其实是个充分运用大脑的活动。
昨今、言葉で感情を表せずに「キレる」子が目立っている。背景には言語力の低下があるとされる。一方で頼もしい傾向もある。図書館を利用する小学生は、07年に1人あたり約36冊の本を借りていた。これは過去最多という.
如今,不会用语言表达感情的“炸刺儿”少年比比皆是。而究其根源,据说问题就在于语言能力的低下。但也有令人欣慰的倾向,在07年里,跑图书馆的小学生,平均每人借书36本。这是历年来的最高纪录。
巣ごもり派も多かった年末年始、「読み納め」や「読み初(ぞ)め」を楽しまれた方もおられよう。人との出会いはすてきだが、書物との邂逅(かいこう)も捨てがたい。一生ものの一冊に会える読書年であればいい。
在这闭门不出派居多的岁末年头之际,享受着“终卷”和“开卷”之乐的嗜读者估计也不在少数吧。人与人的因缘际会固然美妙,而人与书邂逅相遇之后也同样是难分难舍的。希望大家在这个读书年中都能邂逅终生受用的书籍。
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一.《血液读书》
雪は山堂を擁して樹影深し
檐鈴動かず 夜沈沈
閑かに乱帙を収めて疑義を思う
一穂の青燈 万古の心
雪拥山堂树影深
檐铃不动夜沉沉
闲收乱帙思疑义
一穗青灯万古心
二. 土岐善麿 (1885~1980)
日本诗人、戏曲家、翻译家。
别号哀果,生于东京都浅草,早稻田大学英文科毕业。曾在读卖新闻社和朝日新闻社任职。中学时代即开始作歌。用罗马字三行书写的短歌集《边哭边笑》于1910年出版。以后有歌集20余册陆续出版。《边哭边笑》曾对石川啄木发生影响,两人交往甚密。啄木逝世后,善 麿为完成他们生前共同商定的计划,组织《生活与艺术》杂志出版,主要发表短歌,并成为传播进步思想和繁荣文学创作的阵地。这份杂志与当时宣传社会主义、民主主义思想的杂志《近代思想》在20世纪初的日本文学史上起过巨大的作用。善 麿的作品在革命家幸德秋水惨遭政府杀害的“大逆事件”发生后,表现出辛辣的嘲讽。
善麿因不支持侵略战争,受到排挤和监视。他脱离歌坛,停止歌作,隐居家中专事江户时代著名歌人田安宗武的研究,有专著4卷问世(1947)。第二次世界大战结束后,他的歌集《秋晴》出版。
1946年出版歌集《夏草》。后参加“新日本歌人协会”(1946),成为“日本艺术院”会员(1955)。善麿著有歌集、歌话和随笔以及古典能剧剧本,并翻译了杜甫的一些诗。
土岐善麿的短歌的特点是:节奏跃动,生气勃勃,语言凝练,色彩鲜明。
从1956年起,土岐善麿担任日中文化交流协会理事,后改任顾问。他三次访问中国。在中日两国即将恢复邦交以前,他曾赋歌:“北京降瑞雪,东京绽春樱。应不久,相望一天同。”(《北京抄》)1979年元旦,他在一组《日中抄》的秀歌中吟道:“迢遥艰险路,各自尽行程;仰首今同望,长空世纪风。”