100117地震灾难
「15の春」といえば試練の代名詞であり、壁を越えた喜びを表す言葉でもある。生まれた子が少年少女になり、高校生や社会人として巣立っていく。それと同じ歳月が、阪神大震災の起きた日から流れた
“15之春”这个词既已是考验的代名词,也是个表示战胜困难之后的喜悦的词语。15年前出生的孩子如今已是少男少女了,今后还将成为高中生、社会人并走出家庭,开始独立的人生。自发生阪神大地震的那一天起,同样的一段岁月已经匆匆而过。
15年を機に「あしなが育英会」がまとめた冊子「遺児たちが語る、いまの思い」を読んだ。長くて短く、短くて長かったであろう、それぞれの来し方に胸が詰まる。今は男女2人の子に恵まれた岡田幸代さん(31)は、「この15年、どんだけ涙が出るのだろと思うほど泣いた」と書いていた
在这15周年之际,我读了“长腿育英会”编纂的小册子《遗孤们的感怀》。既长也短,既短又长,种种不同的经历令人唏嘘不已。喜获一男一女两个孩子的冈田幸代女士(31岁)写道:“整整15年,提起来是多少辛酸的眼泪啊”。
川口綾香さん(27)も女の子をさずかった。しかし心の傷ゆえか、出産に臨んだ病院で「失うのが怖い」と口走っていたと、あとで看護師から聞かされた。「命あるものは死ぬ」という感覚が、今も強くあるという
川口绫香女士如今也有了一个女儿。然后,在临产之际,她在医院里脱口而出的是“失去太可怕了”,这是她事后听护士说的。据说她对“有生命的东西都会死去”这样的感觉,至今仍极为强烈。
だが、それぞれの内には人への感謝が流れている。「独りじゃない」「忘れられていない」――そうして支えられてきた遺児は多い。遺児だけではない。人を励ますのは人なのだという確信は、あの震災を機に、災害列島の共有財産になっていった
然而,在不同的叙述中,都洋溢着对他人的感谢。“你并非孤立无援”、“大家没有忘记你”——很多孤儿就是在这样的鼓励中挺过来的。也不仅限于孤儿,“能鼓励人的只有人”,这样的信念就是以那场地震为契机成为多灾多难的日本列岛的共同财富的。
地球上で悲劇はやまず、今度はカリブ海の貧国ハイチを大地震が襲った。首都は壊滅し、死者は数万との情報もある。がれきの下で細くともる命の灯が、この瞬間にも消えていると思えばつらい
地球上的悲剧并未停止,这次,大地震袭击了加勒比海的贫穷国家——海地。有报道称,其首都已被摧毁,死亡人数也高达数万。想到就在此时此刻也还有生命之火熄灭在瓦砾之下,就令人悲痛不已。
神戸などでは、6434人の犠牲を悼みつつ、ハイチの苦難を思う一日となろう。地球という生き物の上で、誰もが災害と背中合わせに暮らしている。悲嘆の中に希望の灯を消さぬ英知と仕組みを、人類の共有財産にできないものか。
今天,在神户等地,应该是在悼念6434名受难者的同时,追思海地之苦难的一天吧。在地球这个活物上,大家都在与灾难为邻地生活着。能在悲叹中保持希望之灯不灭的睿智和组织,难道就不能成为全人类的共同财富吗?
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日本纪念神户大地震15周年 向海地地震表慰问
2010年01月18日 10:20中国新闻网
17日是日本神户大地震15周年,数以千计民众及死难者家属举行悼念活动。
据新加坡《联合早报》18日报道,1995年1月17日,日本兵库县神户市发生7.2级大地震,6434人丧命。这场地震也造成大量建筑物倒塌,公路等基建措施受到严重破坏,神户几乎被夷为平地,触发日本政府检讨并加强全国防震措施和意识。
在神户市的公园和公共纪念堂,出席者手持鲜花和蜡烛,双手合十,一边默哀一边哭泣。
在一场纪念会上,人们用蜡烛组成大地震日期的形状。日本首相鸠山由纪夫、德仁皇太子和皇妃小和田雅子出席了纪念会。
德仁皇太子致词时也不忘向近日海地大地震的死难者和其家属表示慰问,他希望海地的重建工作进展迅速,并尽快从灾难中振作起来。