100222豆芽济时艰
かぐや姫のヒット曲「赤ちょうちん」の一節にある。〈雨がつづくと仕事もせずに/キャベツばかりをかじってた……〉。喜多條忠(きたじょう・まこと)さんの詞は、若い二人のその日暮らしをうたう。前作の「神田川」と同様、いわゆる四畳半フォークの香りが強い。
辉夜姬(译注:上世纪70年代的一个三人演唱组合。)的人气歌曲《红灯笼》里有这么一段:“淫雨连绵不上班/唯有在家嚼包菜……”。喜多條中所写这个歌词,唱的是两个过着当天挣钱当天花生活的年轻人。与他之前的作品《神田川》一样,“陋室情歌”(译注:流行于上世纪70年代的,以表达同居在狭小住所内的情侣间的纯情为主的歌曲。)的气息十分浓郁。
曲中ではキャベツが貧しさを語るが、昨今、節約のシンボルは別の野菜らしい。モヤシが家計と食卓を支えていると読める記事に、三十数年前の歌が浮かんだ次第である。
歌中的包菜象征着贫穷,可在当下,节约的象征已换成了别的蔬菜。我就是看到了一则,似乎是豆芽菜在支撑着家庭生活的报道才联想起三十多年前的这首歌来的。
総務省の家計調査によると、2009年の世帯当たりの消費支出は2年続けて落ち込んだ。収入が減り、食費が切り詰められる中、モヤシへの出費は07年半ばからずっと前年同期を上回っている。去年は1割を超す伸びだったという。
根据总务省的家庭生活调查,2009年每户人家的消费开支呈连续2年的下跌态势。而在收入减少,伙食费紧缩的境况下,购买豆芽菜的支出却从07年年中开始一直高于上年度同期,在去年已达到超出1成的高度。
確かにモヤシは、みずみずしい食感、豊かな栄養価とともに、安値安定が売り物だ。とはいえ三食こればかりとはいかない。野菜炒(いた)めのように、脇役で使われることが多い。焼きそばあたりでは、増量の密命を帯びて縁の下にもぐるような役どころである。
豆芽菜自然是一种吃起来又水灵又爽口,营养丰富而又维持在低价位的蔬菜。但也不能一日三餐顿顿豆芽菜啊。在炒蔬菜时它被用作配料。在炒面中,它还是个无名英雄,负有扩增分量的秘密使命。
作家の椎名誠さんに、健康診断で痛風の恐れを言われ、モヤシ料理にはまる作品がある。この野菜を愛(いと)おしむ「私」は考える。〈野菜炒めだけでなく、モヤシが全体的にその実力のわりには軽んぜられた地位にあるのは「その安さ」ということも関係あるのではないか〉
作家椎名诚在作品中提到,他在体检时被告知有得痛风的危险而迷上了豆芽菜料理。钟爱此种蔬菜的“我”认为:“不光是在炒蔬菜时,豆芽菜的总体实力并不弱却老是处于一种被轻视的地位,我想这与其‘便宜’的特性不无关系吧?”
その安さから軽くあしらわれ、その安さゆえに台所のピンチを救う。脇役が活躍するドラマも悪くはないが、細身の色白がやけに頼もしく見える目下の悲喜劇。政治という名の主役はどう眺めているのやら。
因为便宜而被人轻视,又因为便宜而挽救了厨房的危机。配角大显身手的戏剧虽也不错,而眼下上演的正是这么一出纤细白嫩的配角分外给人以安慰的悲喜剧。那么,名为政治的主角又是如何看待它的呢?