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『天声人语』2010年0310成长的标志
时间:2010-03-16 18:20:28  来源:咖啡日语原创  作者:华南虎

100310成长的标志

14年前の朝日小学生新聞に、1年生の短い詩がある。〈ようちえん/にゅうえんしきで/ぼくがなき/そつえんしきで/ママがなく〉秋元健太。短歌にも足らない30字で、自身の成長と親の愛を余すところがない。

   14年前的《朝日小学生》报上曾刊登过一首一年级小朋友写的短诗。“幼儿园/开学典礼上/我哭了/毕业典礼上/妈妈哭了”秋元健太。仅仅30个字(译注:指日文假名),还够不上一首短歌(译注:日本诗歌体裁之一,共有五句,音节排列为:五、七、五、七、七。),却将自己的成长和家长的关爱表现得淋漓尽致。

卒園式で父母を泣かせてきたのが「思い出のアルバム」だ。〈いつのことだか/おもいだしてごらん……〉。顔中を口にして歌う子に苦労を重ね、母親や先生方の涙腺は緩む。NHK「みんなのうた」で全国に広まった80年代には、9割の卒園式で歌われたという。

其实,在毕业典礼上使家长们流泪的是那首《记录回忆的像册》。“发生在何时?/请你试作回想……”。看着全身心投入地唱着歌的孩子们,付出了几多辛劳的母亲和老师不由得热泪盈眶。通过NHK《大家的歌》栏目,这首歌曾在上世纪80年代传遍全国,据说有90%的幼儿园都在毕业典礼上唱这首歌。

東京都調布市の常楽院に歌碑がある。元住職で、幼稚園を開いていた本多鉄麿が作曲した縁だ。作詞は、墨田区で保育園長をしていた増子とし。こちらはクリスチャンだった。

东京都调布市的常乐院中有这首歌的纪念碑。因为这首歌的曲作者就是曾在此处当主持后来又开办了幼儿园的本多铁麻吕。而词作者是在墨田区担任保育院院长的增子多喜,这一位却是个基督徒。

珠玉の合作が生まれたのは1957年。おそらくは保育研究会の場で「異教」が出会い、立場を超えて子どもの門出を祝いたいとの思いが結実した。四季の回想を連ねた詞は冬だけ二つある。お寺や神社系の園のため、クリスマスに触れないものを用意したと聞く。

这首珠联璧合的歌曲诞生于1957年。两个“异教”徒估计是在保育研究会的活动中不期而遇,然后各自超越了自己的立场,在祝贺孩子们踏上新的人生旅途的共同心愿下结出了艺术的果实。四季回想部分的歌词中唯独冬季部分是有两套的。据说,其中的一套歌词不涉及圣诞节,是专为寺庙神社系统的幼儿园所准备的。


半世紀前の歌づくりには、次代を担う子どもへの愛情がにじむ。いわば玄人の愛である。片や、親は育児の素人から危なげに出発し、わが子については誰よりも通じたプロになっていく。卒園式や卒業式は両親の成長の節目でもあろう。

这首创作于半个世纪之前的歌曲,饱含着对将要担负起新时代的孩子们的关爱。这是育儿专家们的爱。而父母亲则从一个育儿的外行蹒跚起步,逐渐成长为在自己孩子方面比谁都内行的专业人士。因此,幼儿园和学校的毕业典礼同样也是家长们成长的阶段性标志。

泣き笑いを重ねて迎える親子のひと区切り、そして新たな旅立ち。薄桃色の日ざしの中で、それぞれの心のアルバムに育ちの跡が刻まれる。泣いてよし笑ってよしの集いによって、この国の春はほどよく厳かな、晴れの季節になる。

几多泪水几多欢笑终于迎来了家长与孩子共同成长的标志性时刻,然后,再重新踏上新的人生旅程。在红彤彤的阳光照耀下,每个人都会在心中的像册里留下成长的记录。在这么一个眼泪欢笑两相宜的聚会之后,这个国家的春天将会是一个严肃活泼,阳光明媚的季节。

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