消失的炭香
2010年12月1日(水)付
東京あたりでも秋の後ろ姿が小さく霞(かす)み、はや師走である。昭和天皇の侍従長を長く務めた入江相政(すけまさ)さんが、冬に思い浮かべる香りを随筆に残している。招き入れられた茶室の、ほのかな炭火のにおいだという。
东京一带秋天的脚步也越走越远了,一下子就到了12月份。曾长期担任昭和天皇的侍从长的入江相政在他的随笔中提到到了冬天就浮现在他脑海里的香气。那是招待来宾的茶室里的微微的木炭发出的气味。
入江さんにとって、炭火は夜の書斎のにおいでもあった。学生時代や、終戦後の窮乏期の記憶である。〈敗れ果てた日本にも、まだこれだけの贅沢(ぜいたく)は許されていると思った……ここにはまだ「日本」というものが、豊かに息づいているじゃあないかと、思った〉。
对于入江先生来说,木炭也是夜晚书房的气味。那是关于学生时代和战后经济困难时期的记忆。“我当时想,一败涂地的日本居然还能如此奢侈……从中可见这个叫“日本”的家伙仍然还是生龙活虎的。”
昨今、炭火を見ることはそうない。見かけても、上で音を立てているのは鰻(うなぎ)だったり手羽先だったり。いにしえの日本を連れて来るべき微香は、食欲をそそる薫煙のかなた、ようとしてうかがえない。
如今,木炭已经不太能看得到了。偶尔看到,在它上面发出滋嗞滋声的也是鳗鱼或鸡翅。而那个本应将古老的日本唤来的微香,也在煽动食欲的熏烟中消失得无影无踪了。
煙突や暖炉を据えにくい木造家屋は、煙を出さず火力が長持ちする炭を求め、火鉢と七輪の暮らしが生まれた。こうして居間や台所を支えてきた炭も、もはや日常からは遠い。炭焼きは師弟で継ぐ職人技になった。
木造房屋不好安装烟囱和暖炉,而木炭不冒烟而且燃烧时间长,于是催生了日本人使用火盆和炭炉的习惯。然而曾经在起居间和厨房唱主角的木炭,如今也已远离人们的日常起居。烧炭也成了师徒相传的一种工匠技艺了。
先ごろの本紙で、杉浦銀治さん(85)が紹介された。農林省で炭の研究に励み、今も内外で炭焼きを教えている。杉浦さん編の児童書『火と炭の絵本』に、「炭を通して、火の大切さ、森の大切さがみえてくるんじゃないかな」とある。
前些天本报曾报道过85岁的杉浦银治。他在农林省一直致力木炭研究,现在还里里外外地传授烧炭技艺。在杉浦先生所编写的儿童书籍《火与炭的图画册》中有这样一句话;“通过木炭,我们不是就可以看到火的重要性森林的重要性了吗?”
電気やガスは便利だが、代わりに炭や薪(まき)が廃れ、用済みの雑木林が消え、里山が荒れる。〈豊かに息づく日本〉の衰微を見るにつけ、去来するのは入江さんが使った贅沢なる一語だ。自然と響き合うまほろばの原風景に思いを致すなら、深々(しんしん)と冷え込む夜半がいい。
电和煤气的确方便,可另一方面由于不再使用木炭和柴火,导致已没有使用价值的杂木林消失、山林丢荒。每当看到“生龙活虎的日本”的衰微,入江先生使用的奢侈一词就在脑海中挥之不去。要体会与自然和谐共鸣的日本原汁原味的风情,还是冰冷彻骨的深夜比较合适。