枪械与民主
2011年1月11日(火)付
去年の秋の小欄で「バロット(投票用紙)はブレット(弾丸)より強し」と書いた。米国の16代大統領リンカーンの言葉である。暴力ではなく民意によって国を変えるのだと、演説で訴えたときのものだ。
去年秋天,我曾在本栏目写过这样一句话:“选票的力量强于子弹。”这是美国第16任总统林肯在演讲中说过的话,意思是不靠暴力而靠民意去改变国家。
だが民主主義は暴力に幾度も苦い汁を飲まされてきた。民主主義の象徴のようなリンカーンも南北戦争のあと凶弾に倒れている。米国の政治は弾丸との戦いでもあった。そして年明け早々に繰り返された悲劇に、アメリカは悲痛な面持ちだ。
然而民主主义却屡屡被迫喝下暴力所酿出的苦酒。民主主义的象征林肯本人就在南北战争结束后倒在凶徒的枪口之下。美国的政治同时也是一场与枪弹的战争。而开年就早早反复上演的悲剧中,美国的表情显得异常沉痛。
アリゾナ州の政治集会で乱射事件が起きた。6人が亡くなり、女性の連邦下院議員ギフォーズさん(40)が頭を撃たれて重体となった。容疑者は22歳の男だが、詳しい背景はわかっていない。
发生在亚利桑那州政治集会上的乱抢扫射事件已造成6人死亡。40岁的女联邦众议员吉福兹头部遭受枪击,身受重伤。嫌犯为一名22岁男子,目前详细背景尚未查清。
「この事件は巻き込まれた人々の悲劇以上のものだ。わが国全体の悲劇である」とオバマ大統領は憤った。狙われたのは民主主義だ、との認識からだろう。とともに事件は、3億丁ともいう銃を日常に潜ませる米社会の、闇の深さを示してもいる。
“这个事件不单单是牵涉其中的人们的悲剧,而是我们国家整体的悲剧。”奥巴马总统愤慨地讲道。总统大概认为凶徒行刺的目的是要打击民主主义。而同时,他也为有据说多达3亿支隐匿在民间的枪械的美国社会深感忧虑。
銃は米国で「平等をもたらす装置」と呼ばれる。相手が雲を突くような巨漢でも、銃を持てば対等になれるからだ。銃所持を擁護する論拠の一つだが、思えばこれは、摩天楼を倒壊させたテロの論理に、どこかで通じてはいないだろうか。
手枪在美国被称为带来“平等”的装备。原因是即使对方是个彪形大汉,只要拥有手枪,双方的力量就是对等的。这是拥护私人拥有枪械的论据之一,不过想想,这个理论跟撞毁摩天大楼的恐怖袭击的理论,难道不觉得有共通之处吗?
言論に対して銃弾一発で「対等」になれるという、おぞましい妄想の温床にもなろう。「銃が人を殺すのではなく、人が殺すのだ」は擁護派の常套句(じょうとうく)だ。しかし銃は往々にして「俺を使え」と持つ者をそそのかす。犠牲を悼みつつ、米社会の宿痾(しゅくあ)をあらためて思う。
拥有枪械很容易让人产生对于言论用一枚子弹来求得“对等”的可怕妄想。“杀人的不是枪,是人。”这是枪支拥护派常常挂在口边的一句话。然而,枪却往往唆使拥有它的人“用我吧。”我们在悼念牺牲者的同时,也来重新思考一下这个美国社会的沉疴。