伊达面具的背后
2011年2月17日(木)付
将来、この冬を記憶の海からたぐり寄せるキーワードは「タイガーマスク運動」かもしれない。群馬県の児童相談所に最初のランドセルが届いて以来、タイガーの本名伊達(だて)直人は40年ぶりに時の名前となった。
将来,如果要从记忆之海的深处寻找今年冬天的话,“老虎面具运动”也许就是关键词。自从第一批书包出现在群马县的儿童福利院,老虎的本名伊达直人这个名字事隔40年再次风靡一时。
さて、若い人は「だてマスク」だという。虎の覆面ならぬ、伊達眼鏡のマスク版だ。風邪や花粉症には関係なく、顔の下半を隠すための着用である。昔の無口な亭主にも似て、「めし、ふろ、ねる」の時間を除いてマスク姿の人もいるらしい。
据说,现在年轻人当中流行一种叫伊达面具的东西。不是老虎模样的面具,而是装饰用眼镜的面具版。跟感冒和花粉症什么的也没关系,就是把下半边脸遮住的东西。听说有些人就像以前不开口的父亲那样,除了“吃饭、洗澡、睡觉”外,面具从不摘下来。
個人をさらしたくない、自分の世界に浸りたいという内向きの心が背後にあると聞く。教室や職場でもというから、関係を断ちたい相手は世間というより「自分以外の全部」かもしれない。
据说,戴面具的多是一些内向的人,他们不想向外界袒露自己,只想沉浸在自己世界里。有些人在教室或办公室里也不肯摘下面具,所以,他们想要断绝关系的与其说是这个社会,不如说是“除自己以外的全部”。
たまにサングラスをすると、正体や表情を悟られぬ快感を知る。雑踏に紛れる感覚である。世の中、会いたい知人ばかりではないし、儀礼の会話や愛想笑いは面倒だ。そもそも見せびらかすほどの面でもない。一切を、小さな布が解決してくれる。
偶尔戴戴太阳镜,可以体会别人看不到自己的样子或表情的快感。有一种淹没在人潮中的感觉。这世上,不是所有的熟人都是你想见的,那些礼节性的对话和挤出的笑也很烦人。本来自己的脸也不值得炫耀。这一切,一块小小的布就都替我们解决了。
とはいえ、これから社会と切り結ぼうかという世代が、お手軽に閉じこもる傾向は危うくもある。受信発信はケータイに限り、イヤホンとマスクでちまたと絶縁する。個室ごと街に出たも同じで、生活力は身につくまい。
不过,马上就要出来社会打拼的这一代人,轻易地将自己封闭自起来的倾向是很危险的。他们只用手机接发信息,用耳机和面具跟外部世界隔离。独居一室一个人逛街,这样的话不可能培养生活能力。
己を引き立てる伊達眼鏡と、消し去るだてマスク。はやり始めの冬は、匿名の先にある「匿顔」社会を予感させる。善意も悪意も見えない、目出し帽だらけの街なら、強盗には春である。杞憂(きゆう)と思いたいが、減る一方の若者がマスクの中に隠れては、時代の元気も消え失せよう。
装饰用眼镜的功用是引人注目,而伊达面具的功能是掩人耳目。这个开年的冬天,尽管匿名的老虎面具运动如火如荼,但让人感觉更深刻的却是一个“匿颜”社会的来临。如果满大街都是把脑袋包得严严实实,看不出善意恶意的帽子,那对强盗来说就是大好时机了。如果现在数量已经越来越少的年轻人还要把自己藏到面具中的话,这时代也就气数将尽了。我真希望自己是杞人忧天。