新时代的情书指南
2011年2月21日(月)付
恋愛小説の名手だった森瑶子さんは恋文に一家言あった。自分のことよりも、徹底して相手のことを書くのがコツなのだそうだ。「好きだとか逢(あ)いたいとかは男の子に言わせる。そう仕向けるのが女の子の腕なのだ」。
恋爱小说名家森瑶子对写情书有个独到见解。她认为秘诀在于不要写自己怎样怎样,而是从头到尾都写对方怎样怎样。“我喜欢你、想见你这种话要留给男孩子说。而让男孩子这么说出来就是女孩子的手腕”。
1週間前に過ぎたけれど、そんな時代のバレンタインデーには「女性の告白日」の色合いが濃かった。わが中高生時代、縁はないと分かっていても淡い期待をしたものだ。そして奇跡は起こらないと実感させられた。
刚过去一周的情人节,在以前的时代是被视为“女性表白日”的。在我上中学的时代,明知道不可能发生但心里还是还是暗暗期待会收到女生的巧克力。当然,结果就是一再验证:奇迹是不会发生的。
東京で読んだ「ひととき」の欄に、小5の息子がこの日のためにチョコを手作りした話があった。男の子同士で交換する「友チョコ」なのだという。奇跡を待つだけだったわが昔とはずいぶん違う。投稿したお母さん(46)も「時代は変わった」と感じたそうだ。
我在东京看到<某时>这个栏目刊登的一篇文章,作者讲述她上5年级的儿子专门为情人节亲手制作了巧克力,是跟男孩子互换的“友情巧克力”。这跟我们以前仅仅是等待奇迹出现的情形可真是大不一样了。据说这位46岁投稿的母亲也感叹“时代真的变了”。
去年の今ごろの声欄には、高校生の娘が友チョコをどっさり持ち帰った話が載った。こちらのお母さん(51)は、「告白の日を『女の子のお楽しみの日』にされてしまった現実を、男の子諸君はどう思いますか?」。
去年大概这个时候的读者来信栏目中,刊登了一篇讲述自己上高中的女儿带回一大堆友情巧克力的文章。这位51岁的母亲说道:“女孩表白日变成了‘女孩们之间的娱乐日’,面对如此光景,各位男孩子们有何感想?”
男にせよ女にせよ、「らしさ」がぼやけつつある時代なのだろう。草食系なる男子の増加を案じる声もあるが、「らしさ」というのは魔物ともいえる。男にも女にも抑圧的な役割を強いる。くびきが薄らいでいくのは、悪いことではあるまい。
这个时代,无论是男的还是女的,性别差异已经是越来越模糊。虽然也有人认为这现象会导致草食男的增加,不过,“男子气或女人味”这玩艺也可以说并不是什么好东西。无论对男的对女的都起了加深压抑的作用。所以,这种束缚的减轻并不是什么坏事。
〈ラブレター書かぬ息子をはがゆがり〉。今のぼやきのようだが、昭和の川柳家笹本英子が詠んだ。気をもむ母親は増えていようか。ならば女子が腕まくりで攻勢をかけるべし。天国の森さんに新たな恋文指南を書いてもらうとしよう。
“儿不写情书,母心急如焚”。这是昭和时代的川柳诗人笹本英子的作品,可内容跟现在母亲唠叨儿子何其相似。今后,为此操心的母亲怕是会越来越多。要这样的话,女孩子就得耍耍手腕发动攻势了。麻烦身在天国的森女士给我们写一本新的情书指南吧。