昨年90歳で亡くなった歌人、竹山広さんに一首がある。〈歳月を数ふるにわれら戦ひに敗れたる日をはじまりとせり〉。日本人は「戦後×年」という数え方で歳月の里程標を刻んできた
去年以90岁高龄仙逝的歌人竹山広先生曾经作过这样一首和歌。(数着日子开始了我们战败的日子)。日本人用“战后×年”的计算方式刻下了岁月的里程碑。
◆3・11を境に「戦後」は終わり、「災後」がはじまる――政治学者の御厨貴(みくりやたかし)さんが本紙に寄せた文章にそうある。政治の姿も、経済の仕組みも、暮らしも一変せざるを得ない、との指摘には多くの人がうなずくだろう
以3月11日为界结束了“战后”,开始了“灾后”------这是政治学家御厨贵在给本报的投稿文章中所写的话。无论是政治的面貌还是经济的结构以及生活都不得不在一瞬间改变,相信对于这样的揭示很多人都会首肯吧。
◆原発危機が終息に向かうかどうかは予断を許さず、1万人を超す不明者の安否も分かっていない。厳密には「災後」の手前、「災中」にある
核电危机是否已经趋于平息尚不可得知,超过1万人的下落不明者是否平安无事也无从知晓。严格地说现在应该是处于“灾后”前的“灾中”。
◆原発の事故現場では、いまこの瞬間も被曝(ひばく)の危険と隣り合わせで、放射能の汚染水と闘う作業員がいる。母親(81)が津波にさらわれて行方不明のまま、別の被災地で捜索活動に従事する自衛隊の1等陸曹(49)は本紙に語っている。肉親を案じるつらさを痛感しているので、「あと少し頑張れば、もう少し下まで掘れば見つかるんじゃないか。そう思うと手が止まらない」と
在核电站的事故现场,至今还有冒着此刻被原子能伤害的危险、与被放射能污染的水进行斗争的工作人员。有位49岁的自卫队1级陆曹,他的母亲(81岁)被海啸卷走至今下落不明,而他自己却在别的受灾地区进行搜救活动。在接受本报采访时他说,因为能够深切地体会到担心母亲安危的痛楚,所以“如果再稍微努力一下,再向下多挖一些的话也许就能找到她吧。这样想着的时候手就停不下来”。
◆あなた方がいるから「災中」に耐えられる。いまだ明日の見えない今日を、何とか生きていける。
正因为有像你们这样的人我们才能够在“灾中”坚守。明天不可预测,我们要努力活在当下。