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旅行梦
2012-3-9
「したつもり」になるだけで旅は心をほぐす。紀行作家の故宮脇俊三(しゅんぞう)さんは、出版社に勤め始めた頃、時刻表を思い浮かべて退屈をしのいだという。60年ほど前のことだ。
光靠想象,旅行就能让人心旷神怡。据闻,已故游记作家宫胁俊三刚开始在出版社工作时,是靠想象列车运行时刻表来打发工作的无聊的。那是大约60年前的事情了。
「乗る」のは特急つばめである。東京発9時―大阪着17時と、勤務時間にぴったり重なっていた。11時32分静岡通過、ぼちぼち食堂車に行くか、15時23分米原発車、希望のあかりが見えてきたと、新入社員は白昼夢に遊んだ。
他“乘坐”的是特快列车燕子号。9点从东京发车,17点到达大阪,刚好跟上班时间重合。11点32分经过静冈,该是时候去餐车了;15点23分米原站发车,快看到希望之灯了。刚进公司的新人就这样畅游在自己编造的白日梦中。
その昔、政府が見た旅の夢は「千客万来」だった。明治末、外客(がいかく)誘致を目的に「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」が鉄道院にできる。外貨獲得と国の宣伝を担い、服務規定には「ひげは毎日そる」「ズボンは寝押しせよ」などが並んだ。
那个时候,政府对旅行寄予的梦想就是“客似云来”。明治末年,铁道院成立了一个以招揽外国旅客为目的的机构“Japan Tourist Bureau(日本旅行局)”。该机构担当的任务包括获取外币和宣传国家,服务规则中有“每天剃须”、“长裤要放枕头下压直”等等。
仕事はやがて旅行の斡旋(あっせん)に移る。戦中は学童疎開、日本交通公社になった戦後は修学旅行や集団就職を請け負い、内外のパックツアーを売った。週明けに創立100年を迎えるJTBは、旅の大衆化と二人三脚、小旗を掲げた添乗員そのままに民族大移動を先導してきた。
该机构的工作不久后就变为进行旅行安排。二战期间负责疏散学童,战后改名为日本交通公司后负责安排修学旅行和集体就职等,专门负责国内外的团体旅行。下周初将迎来成立100周年的JTB,推动了旅行的大众化,仅靠ドライバー和举着小旗的导游就实现了民族大迁移。
震災の年も、1700万の国民が海を越え、620万の外国人が訪れた。新幹線網や格安航空にも助けられ、次の旅先を夢想する地図は厚い商品カタログの趣だ。寝押しで外客を迎えた時代から、私たちは随分遠くに来た。
即使是经历了大地震的去年,也有1700万的国民出国旅行,有620万名外国游客到访日本。受益于新干线的铁道网和廉价航空,寻找下一个旅行目的地就如翻看一本厚厚的商品目录。那个要把长裤压在枕头下去招揽国外游客的时代早已被我们远远抛在身后。
しばし日常を離れる旅は、ぜいたくな時の消費である。未知に躍る往路、思い出に浸る復路を含め、そこ限りの味や景色、出会いに満ちている。「国内カタログ」を繰りつつ思う。春に発つなら東北にしよう。
暂时脱离日常生活外出旅行是有钱又有闲时的消费。包括出发路上对未知世界充满好奇,沉浸在回忆中的返程,充满了只有旅途中才会遇到的味道、景色和人。我边翻看“国内目录”边想,今年春天出发的话不如就去东北吧。