原帖翻译讨论请进 http://coffeejp.com/bbs/thread-370957-1-1.html
飞来横祸
2012-4-13
春らんまんの京都、祇園と桜の組み合わせで浮かぶのは、与謝野晶子の「みだれ髪」の名高い一首だ。〈清水(きよみず)へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢(あ)ふ人みなうつくしき〉。花篝(かがり)に照らされる夜は華やぎ、幸福感に包まれた乙女は匂いたつばかり。
春花烂漫的京都,祗园与樱花的组合让人想起与谢野晶子《乱发》中一首著名的短歌:“过祗园,往清水。樱花月夜,今宵游人个个美。”樱花篝火映衬下的夜空分外华丽,沉浸在幸福感中的少女熠熠生辉。
この季節、古都は宿の予約も難しいほど観光客でにぎわう。そんな昼下がり、満開の桜の下の、凍りつくような暗転である。祇園の繁華街で人の列に車が突っ込み、次々にはねた。7人が亡くなるという、痛ましい事故になった。
这个季节,古都满是观光客,酒店都很难订到。然而就在这样一个午后,在盛放的樱花树下却传来了惊人的噩耗。在祗园的闹市中,一辆汽车冲向人群,将人一个个撞倒,最终酿成7人死亡的惨剧。
運転していた男性も死亡した。原因や事情はまだ明確ではないが、ときどき意識を失う持病があったらしい。軽乗用車ながらのこの惨状に、「走る凶器」ぶりを改めて思う。交通戦争と言われた1970年ごろは、年に1万5千人以上が落命していた。
开车的男子也死了。事故的原因和具体情况尚未查清,不过据说该男子患有时而丧失意识的慢性病。一辆小型轿车却酿成如此巨大的惨剧,让人不由得再次审视汽车这种“飞跑的凶器”。在被称为交通战争的1970年前后,每年有超过1万5千人死于交通事故。
去年は3分の1を下回ったが、それでも4612人もの命が失われた。家族やまわりの悲嘆ははかり知れない。年に約5万人の重傷者にも深刻な障害が残る人は多い。交通戦争は終わってはいない。
去年这个数字已经回落到当时的三分之一以下,但依然有4612人因车祸离世。这给他们的家人及身边亲友带来无法衡量的悲痛。而每年约5万名在车祸中受重伤的人当中也有相当一部分留下了严重的残疾。这场交通战争还远远没有结束。
車そのものの安全性は高まったが、運転するのは人である。「敵を知り己を知らば百戦危うからず」と孫子の言葉にある。原因が何にせよ、車の怖さを知って安全を保つことができなかったものかどうか、悔やまれる。
汽车本身的安全性能是提高了,但开车的是人。孙子兵法中有“知己知彼,百战不殆”之说。这次事故不管原因何在,未能认识到汽车的可怕之处从而确保安全,这点让人非常遗憾。
〈四条橋おしろい厚き舞姫の額(ぬか)ささやかに打つあられかな〉。晶子の詠んだ橋のすぐ東が悲劇の現場になった。華やぎを吹き飛ばしてカメラや靴が路上に散乱した。突然絶たれた命の無念を、痛切に思う。
“四条桥上,艺妓脸上白粉厚。冷雨轻轻打额头。”紧挨着晶子吟诵的这条桥的东边就是这次惨剧发生的现场。融融春色瞬间暗淡,相机、鞋子等散落路中。我深深体会到那种突然之间被夺去生命的悲痛。