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舞姬 森鸥外 (日文版)
时间:2007-03-15 01:10:30  来源:  作者:


魯國行については、何事をか敍すべき。わが舌人たる任務は忽地に余を拉し去りて、靑雲の上に堕したり。余が大臣の一行に隨ひて、ペエテルブルグに在りし間に余を圍繞せしは、巴里絶頂の驕奢を、氷雪の裡に移したる王城の粧飾、故らに黄蝋の燭を幾つ共なく點したるに、幾星の勲茸、幾枝の「エポレット」が映射する光、彫鏤の工を盡したる「カミン」の火に寒さを忘れて使ふ宮女の扇の閃きなどにて、この間佛蘭西語を最も圓滑に使ふものはわれなるがゆゑに、賓主の間に周旋して事を辯ずるものもまた多くは余なりき。
この間余はエリスを忘れざりき、否、彼は日毎に書を寄せしかばえ忘れざりき。余が立ちし日には、いつになく獨りにて燈火に向はん事の心憂さに、知る人の許にて夜に入るまでもの語りし、疲るゝを待ちて家に還り、直ちにいねつ。次の朝目醒めし時は、猶獨り跡に残りしことを夢にはあらずやと思ひぬ。起き出てし時の心細さ、かゝる思ひをば、生計に苦みて、けふの日の食ながりし析にもせざりき。これ彼が策一の書の略なり。
又程經てのふみは頗る思ひせまりて書きたる如くなりき。文をぱ否といふ字にて起したり。否、君を思ふ心の深き底をば今ぞ知りぬる。君は故里に賴もしき族なしとのたまへぱ、此地に善き世渡のたつきあらぱ、留り玉はぬことやはある。又我愛もて繋ぎ留めでは止まじ。それもかなはで東に還り玉はんとならぱ、親と共に往かんは易けれど、か程に多き路用を何處よりか得ん。怎なる業をなしても此地に留りて、君が世に出で玉はん日をこそ待ためと常には思ひしが、暫しの旅とて立出て玉ひしより此二十日ぱかり、別離の思は日にけに茂りゆくのみ。袂を分つはたゞ一瞬の苦艱なりと思ひしは迷なりけり。我身の常ならぬが漸くにしるくなれる、それさへあるに、縦令いかなることありとも、我をば努な棄て玉ひそ。母とはいたく爭ひぬ。されど我身の過ぎし頃には似で思ひ定めたるを見て心析れぬ。わが東に往かん日には、ステツチンわたりの農家に、遠き縁者あるに、身を寄せんとぞいふなる。書きおくり玉ひし如く、大臣の君に重く用ゐられ玉はゞ、我路用の金は兎も角もなりなん。今は只管君がペルリンにかへり玉はん日を待つのみ。
鳴呼、余は此書を見て始めて我地位を明視し得たり。恥かしきはわが鈍き心なり。余は我身一つの進退につきても、また我身に係らぬ他人の事につきても、決斷ありと自ら心に誇りしが、此一決斷は順境にのみありて、逆境にはあらず。我と人との關係を照さんとするときは、賴みし胸中一の鏡は曇りたり。

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