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舞姬 森鸥外 (日文版)
时间:2007-03-15 01:10:30  来源:  作者:


少女は驚き感ぜしさま見えて、余が辭別のために出したる手を唇にあてたるが、はらはらと落つる熱き涙を我手の背に濺ぎつ。
鳴呼、何等の惡因ぞ。この恩を謝せんとて、自ら我僑居に來し少女は、ショオペンハウエルを右にし、シルレルを左にして終日兀坐する我讀書の窗下に、一輪の名花を咲かせてげり。この時を始として、余と少女との交漸く繁くなりもて行きて、同鄕人にさへ知られぬれば、彼等は速了にも、余を以て色を舞姫の群に漁するものとしたり。われ等二人の間にはまだ癡がいなる歡樂のみ存じたりしを。
その名を斥さんは憚れあれど、同鄕人の中に事を好む人ありて、余が屡々芝居に出入して、女優と交るといふことを、官長の許に報じつ。さらぬだに余が頗る學問の岐路に走るを知りて憎み思ひし官長は、逐に旨を公便舘に傅へて、我官を免じ、我職を解いたり。公使がこの命を傅ふる時余に謂ひしは、御身若し即時に鄕に歸らば、路用を給すべけれど、若し猶こゝに在らんには、公の助をば仰ぐぺからずとのことなりき。余は一週日の猶豫を請ひて、とやかうと思ひ煩ふうち、我生涯にて尤も悲痛を覺えさせたる二通の書状に接しぬ。この二通は殆ど同時にいだしゝものなれど、一は母の自筆、一は親族なる某が、母の死を、我がまたなく慕ふ母の死を報じたる書なりき。余は母の書中の言をこゝに反覆するに堪へず、涙の迫り來て筆の運を妨ぐればなり。\
余とエリスとの交際は、この時までは餘所目に見るより清自なりき。彼は父の貧きがために、充分なる教育を受けず、十五の時舞の師のつのりに應じて、この恥づかしき業を敎へられ、「クルズス」果てゝ後、「ヰクトリア」座に出てゝ、今は場中第二の地位を占めたり。されど詩人ハツクレンデルが當世の奴隷といひし如く、はかなきは舞姫の身の上なり。薄き給金にて繁がれ、晝の温習、夜の舞臺と緊しく使はれ、芝居の化粧部屋に入りてこそ紅粉をも粧ひ、美しき衣をも纏へ、場外にてはひとり身の衣食も足らず勝なれぱ、親腹からを養ふものはその辛苦奈何ぞや。されば彼等の仲間にて、賤しき限りなる業に堕ちぬは稀なりとぞいふなる。エリスがこれをのがれしは、おとなしき性質と、剛氣ある父の守護とに依りてなり。彼は幼き時より物讀むことをば流石に好みしかど、手に入るは卑しき「コルポルタアジユ」と唱ふる貸本屋の小説のみなりしを、余と相識る頃より、余が借しつる書を讀みならひて、漸く趣味をも知り、言葉の訛をも正し、いくほどもなく余に寄するふみにも誤字少なくなりぬ。かゝれば余等二人の間には先づ師弟の交りを生じたるなりき。我が不時の免官を聞きしときに、彼は色を失ひつ。余は彼が身の事に關りしを包み隱しぬれど、彼は余に向ひて母にはこれを秘め玉へと云ひぬ。こは母の余が學資を失ひしを知りて余を疎んぜんを恐れてなり。
鳴呼、委くこゝに寫さんも要なけれど、余が彼を愛づる心の俄に強くなりて、逐に離れ難き中となりしは此折なりき。我一身の大事は前に横りて、洵に危急存亡の秋なるに、この行ありしをあやしみ、又た誹る人もあるぺけれど、余がェリスを愛する情は、始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我數奇を憐み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、髪の毛の解けてかゝりたる、その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる腦髓を射て、恍惚の間にこゝに及びしを奈何にせむ。

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