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舞姬 森鸥外 (日文版)
时间:2007-03-15 01:10:30  来源:  作者:


我學問は荒みぬ。屋根裏の一燈徴に燃えて、エリスが劇場よりかへりて、椅に寄りて縫ものなどする側の机にて、余は新聞の原稿を書けり。昔しの法令條目の枯葉を紙上に掻寄せしとは殊にて、今は活溌々たる政界の運動、文學美術に係る新現象の批評など、彼此と結ぴあはせて、力の及ぱん限り、ピヨルネよりは寧ろハイネを學びて思を構ヘ、様々の文を作りし中にも、引續きて維廉一世と佛得力三世との崩そありて、新帝の即位、ビスマルク侯の進退如何などの事に就ては、故らに詳かなる報告をなしき。されぱこの頃よりは思ひしよりも忙はしくして、多くもあらぬ蔵書を繙き、舊業をたづぬることも難く、大學の籍はまだ刪られねど、謝金を收むることの難けれぱ、唯だ一つにしたる講筵だに往きて聴くことは稀なりき。
我學問は荒みぬ。されど余は別に一種の見識を長じき。そをいかにといふに、凡そ民間學の流布したることは、歐洲諸國の間にて獨逸に若くはなからん。幾百種の新聞雜誌に散見する議論には頗る高尚なるも多きを、余は通信員となりし日より、曽て大學に繁く通ひし折、養ひ得たる一隻の眼孔もて、讀みては又讀み、寫しては又寫す程に、今まで一筋の道をのみ走りし知識は、自ら綜括的になりて、同鄕の留學生などの大かたは、夢にも知らぬ境地に到りぬ。彼等の仲間には獨逸新聞の社説をだに善くはえ讀まぬがあるに。
明治廿一年の冬は來にけり。表街の人道にてこそ沙をも蒔け、すきをも揮ヘ、クロステル街のあたりは凸凹坎かの處は見ゆめれど、表のみは一面に氷りて、朝に戸を開けぱ飢ゑ凍えし雀の落ちて死にたるも哀れなり。室を温め、竈に火を焚きつけても、壁の石を徹し、衣の綿を穿つ北歐羅巳の寒さは、なかなかに堪へがたかり。エリスは二三日前の夜、舞臺にて卒倒しつとて、人に扶けられて歸り來しが、それより心地あしとて休み、もの食ふごとに吐くを、惡阻といふものならんと始めて心づきしは母なりき。鳴呼、さらぬだに覺束なきは我身の行末なるに、若し眞なりせぱいかにせまし。

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