天使が、もみの木を運んできてくれた。
ゆうべ私がバイトのことで、ひどく落ち込んでいたから、励ましのつもりだったのだろう。天使は、私のこと、なんでも知っている。私も、天使にだけは、なんでも話す。
ななせにも打ち明けられないこと、醜いこと、汚いことも、全部。
クリスマスにはまだ早いけれど、天使と二人で土を掘って、もみの木を植えた。私と天使の大事なクリスマスツリー。
明日は、天使の羽根や、クリスタルの聖堂や、金色の鐘や星を飾ろうって約束した。それから、電気も灯さなきゃって。
天使は、神様を信じてないから、クリスマスも賛美歌も嫌いだと言う。私が賛美歌を歌ったら、耳をふさいで、やめろって叫んだ。私も神様は信じられないけれど、クリスマスは好き。ツリーのイルミネーションを、一晩中だって見上げていられる。そうすると、神様は信じていなくても、とても神聖な清らかな気持ちになる。光の中に、心が、すーっと吸い込まれていく感じ。
ツリーの中に、住めたら良かったのになぁ。そうしたらきっと、私の醜さも、白い光の中に溶けて消えてしまうのに。
今年のイブは、彼と過ごす。
クリスマスは、ななせと過ごす。
ななせは、井上くんとうまくやってるのかな? 昨日の電話では、また井上のこと睨んじゃったよー、キツイこと言っちゃったよーって、落ち込んでたけれど。
ななせは、すっごく可愛くてイイコだから、もうちょっとだけ積極的になったら、井上くんも絶対惚れちゃうと思うんだけどなぁ。
いつか、ななせと井上くんと私と彼でWデートできるといいねって、話したとき、自分がひどい嘘つきのような気がして、胸が痛くなって、泣きそうになって困った。
◇ ◇ ◇
「琴吹さんって、毬谷先生と仲良いよね」
「ば、バカ……っ! なに言ってんの。そんなわけないでしょ」
一時間後――。日差しのあたたかな準備室で、ぼくは琴吹さんと仕事をしていた。
毬谷先生が職員室に用があり、出ていったので、部屋の中はぼくと琴吹さんの二人きりだ。琴吹さんはぼくの隣で、紙をばさばさめくりながら、唸った。
「井上、目ぇおかしいんじゃないの」
「そうかな。琴吹さん、先生とだと、いつもよりおしゃべりみたいだし」
「……そ、それは」
なにか言いかけて、「なんでもない」と、そっぽをむいて黙ってしまう。
そのまま、すごい勢いで作業を続ける。
そういえば、琴吹さんに訊きたいことがあったんだっけ。どうしよう。思いきって、今、訊いてしまおうか。
「ねぇ、琴吹さん」
「な、なにっ」
「琴吹さんとぼくって、中学のとき、どこで会ったんだっけ? よく考えたんだけど、思い出せないんだ」
ああ、言っちゃった。
でもこの際だからはっきりさせておこう。文化祭の劇の練習で、琴吹さんが泣きながら口走ったこと――。
『井上は、きっと覚えてないよ。けど、あたしにとっては特別なことだった』
『いつも井上と一緒にいたあの子が、作家の井上ミウなんでしょう!』
何故、琴吹さんが井上ミウを、美羽と誤解したのか?
何故、ぼくは琴吹さんと会ったことを覚えていないのか?
琴吹さんの不自然なほどのかたくなさも、多分そこに原因があるのだろうから……。
琴吹さんは、うなだれたまま石のように動かない。唇を噛みしめ、青ざめている。
聞いてはいけなかったのかな……。
後悔したとき、苦しそうに声を押し出した。
「……校章」
「え?」
「校章……で、わからない、かな?」
「えっと、制服につけるバッチの校章だよね?」
琴吹さんの肩が、ぴくっと揺れる。
「待って、今、思い出すから。校章……えーと、えーと……」
ぼくらの中学校の校章は、楓の形をしていた。学年ごとに色が違っていて、琴吹さんがぼくと会ったのは、二年生の冬? だとしたら校章は青で……。
「もぉ、いいっ」
激昂した声が、思考を断ち切る。
琴吹さんは手を固く握りしめ、震えていた。
「む……無理して思い出すことないよ」
空気が冷たく凍りつき、ぼくは途方に暮れてしまった。
そこへ、毬谷先生が戻ってきた。
「すみませんでしたね。職員室から塩大福をかすめてきたので、お茶にしましょう。あれ? ななせくん、どうしました?」
先生の顔が、キスしそうなほど接近し、琴吹さんが慌てて飛びのく。
「な、なんでもないよっ!」
「ああ、私がいなくて寂しかったんですか」
ほのぼの笑う先生に、
「バカ! 変態! 違う!」
と、真っ赤な顔でわめく。
少し元気になったみたいだったけれど、そのあと琴吹さんは、ぼくと目をあわせようとしなかった。
校舎が茜色に染まる頃、三人で音楽準備室を出た。
「明日と明後日は、所用で出かけるので、次は木曜日ですね。よろしくお願いします」
「はい、さようなら、先生、琴吹さん」
「……さよなら」
職員室へ戻るという先生と、図書室へ行くという琴吹さんと別れて、歩き出そうとしたとき。
ふと、視線を感じた。
突き刺すような暗い眼差しが、こちらを見ている。けど、人の姿がない。
一体どこから?
階段の前で、周囲を見渡したとき、頭上から風の唸りのような低いつぶやきが、舌打ちとともに聞こえた。
「……いい気なもんだ」
背筋がざわつき、皮膚が粟立つ。
視線を上に向け、四階へ続く階段を、一段一段、息を押し殺して、なめるように見つめる。けれど、そこには誰もいなかった。
なに……今の声?
誰に向かって言ったの? ぼく? 先生? それとも琴吹さん?
耳をすましたけれど、もう足音すら聞こえなかった。