先生からお客さんのことで、電話があった。私のこと色々心配してくれてる。
先生は優しい、いい人だ。
久しぶりにデートした彼は、少し不機嫌そう。手に触れても、握りしめた指をほどいてくれない。バイト辞めろって、暗い声で言われた。
気晴らしに、お城の広間に写真をたくさん飾った。
ななせと私の写真。天使と私の写真。どの写真も、私は楽しそうに笑っていて、眺めていると、ああ、この写真の女の子は幸せなんだねぇって思えて、嬉しくなる。
けど、彼の写真だけは、胸が裂けてしまいそうで飾れない。
代わりに、青い薔薇の写真を飾る。
白い薔薇に、青い色を染みこませて作った嘘の色だけど、綺麗。
青い薔薇は、昔は『有り得ないこと』『不可能なこと』の意味で使われていたけれど、今は、遺伝子を組み替えて青い薔薇を作ることに成功して、花言葉も『奇跡』とか『神の祝福』に変わったんだって。
けど、ネットの画像で見たその薔薇は、紫ぽくて、純粋な青には見えなかった……。
だからやっぱり、青い薔薇の意味は『有り得ないこと』の、ままなのかもしれない。
クリスチーヌが、ラウルに言った台詞をつぶやいてみる。
『あたしたちの愛はこの世では悲しすぎるのよ。空の上を歩かせましょうよ!……あそこでなら、この愛もとってもたやすく実現するんじゃないかと思うの!』
せめて、ななせの恋がうまくいくといい。
◇ ◇ ◇
どうしたら、琴吹さんと仲直りできるだろう。
翌日の放課後。ぼくは悩みながら、廊下を歩いていた。
琴吹さんは、まだ昨日のことを気にしているみたいで、教室でもぼくを避けていた。
森さんが、「井上くん、ななせと喧嘩したの?」と心配して尋ねにきたけれど、うまく答えられなかった。森さんも困っている様子で、「ななせは緊張すると固まっちゃうからなぁ。なにがあったのか知らないけど、悪くとらないであげてね」と頼んでいた。
いきなり首筋をつつかれて、ぼくは飛び上がった。
「わっ!」
振り返ると、タンポポ色のバインダーを抱えた、ふわふわした髪の小柄な女の子が、笑顔でぼくを見上げていた。一年生の竹田さんだ。
「こんにちは~、心葉先輩。えへへー。聞きましたよ、ななせ先輩のこと」
「竹田さん……! な、なに、それ? なにを聞いたの?」
「ななせ先輩と、音楽準備室で、密室デートだそうじゃないですか。いよいよですね~。それとももう、おろおろしちゃってますか?」
ぼくの脇腹を、肘でぐりぐり押してくる。
「やめてよ、目立ってるよ、竹田さん。密室デートって、音楽の毬谷先生の手伝いをしてるだけで、先生も一緒だし、それにおろおろってなにさ?」
そのとき胸のポケットで、携帯の着メロが鳴った。
ゴメンと断って着信を見て、ドキッとする。
え !? メール? 琴吹さんから !?
慌てて内容を確認すると、
『ななせだよ。
今日は井上のこと無視してるみたくなっちゃって、ゴメンナサイ (/_:)
あたし、本当は井上のことが…… (>_<)
今日、図書室に来てくれるかな (^_-)
井上に、どうしても話したいことがあるの (*^_^*) 』
こ、これは一体―― !?
顔文字が頭の中に、ちかちかと飛び交い、パニクるぼくを、竹田さんが指さし言った。
「あ……おろおろしてます」
琴吹さんに、なにが起こったんだ?
話しかけてくる竹田さんを振り切り、動揺したまま図書室へ行くと、琴吹さんはカウンターで仕事をしていた。
「い、井上……っ」
ひどく驚いている様子で、目を見開いてうろたえる。その顔を見て、ぼくのほうも、全身が心臓になったみたいにどぎまぎし、血液がもの凄い勢いで頭に駆け上っていった。
「な、なに? 返却?」
「その……話したいことがあるって、メールもらったから」
「え? 誰に?」
「誰って、琴吹さんに。……図書室に来てくれるかなって」
「えええええっ」
思いきり叫んだあと、慌てて両手で口をふさぎ、小声で訴える。
「あたし、そんなメール、出してない」
「けど、さっき琴吹さんのアドレスで送られてきて……」
ぼくも混乱してきた。どういうことなんだ?
「嘘っ、それ違う。だいたい井上にメール出す理由なんて――」
琴吹さんがムキになって、睨みつけてきたときだ。
いきなり森さんたちが、カウンターの前に湧いて出た。
「あれ! 井上くん、来てたんだ! ぐーぜーん」
「わー、よかったね、ななせ。井上に大事な話があったんでしょう?」
「ここはあたしたちに任せて、向こうで話しておいでよ。ね!」
琴吹さんの目が、急に険しくなった。
「あたしの携帯から井上にメールを打ったのは、森ちゃん?」
ひやりとするような声の響きに、森さんたちが口ごもる。
「えっとその……」
「さっき、森ちゃん、携帯忘れちゃったから、貸してって言ったよね」
「ご、ゴメンっ。ななせが、井上くんに話しかけられずにいたから……」
琴吹さんの顔がカァァァッと赤くなり、激しい声が空気を裂いた。
「余計なことしないでっ! あたしは井上のことなんか、大っ嫌いなんだから!」
言葉が耳に突き刺さり、頭が焼けるように熱くなった。
カウンターの周りは静まり返り、琴吹さんが茫然としている目でぼくを見る。それから、急に眉を下げ、泣き出しそうな顔になり、唇をぎゅっと噛むと、カウンターから飛び出し、そのまま走って図書室から出ていってしまった。
「ななせ! 待って!」
森さんたちが、慌てて追いかける。どうしよう、ぼくも行ったほうがいいんだろうか。でも――。
そのとき、隣で低い声がした。
「最低……だな」
驚いてそちらを見ると、眼鏡をかけた男子が、突き刺すような冷たい目で、ぼくを睨んでいた。
ぼくは息をのんだ。
音楽準備室の前で見かけた生徒じゃないか?
それに、この声! 昨日階段のところで聞いた声に似ている!
体をこわばらせるぼくを苛立たしそうに見すえたまま、彼はチッと舌打ちをし、カウンターの中へ入っていった。そうして、冷ややかに顔をそむけると、図書委員の仕事をはじめた。
そんな彼を、ぼくは何故悪意を向けられるのかわからないまま、薄ら寒いような気持ちで見ていたのだった。