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『天声人语』2010年0312大平正芳诞辰100周年
时间:2010-03-16 18:25:43  来源:咖啡日语原创  作者:华南虎

100312大平正芳诞辰100周年

   政治家の言葉が干からびて久しい。見ばえと、聞こえのいいトークが重んじられる昨今だ。30年前、現職首相のまま逝った大平正芳さんは逆だった。風姿は鈍牛に擬せられ、口を開けば「アーウー」でも、弁舌に知性が感じられた。

   政治家枯燥无味的语言已经好久没有聆听了。最近,人们所看重的都是些冠冕堂皇或优美动听的高论。30年前,在任上去世的大平正方先生的风格却与此恰好相反。他的风度被人比作笨牛,一开口老是“嗯”和“啊”,但辩词中自有理性的力量。

論敵だった共産党の不破哲三氏は「国会での答弁にしろ、討論会での発言にしろ、議事録を起こしてアーウーを抜くと、きちんと筋の通った文章になっている……なかなか信頼できる協議相手でした」と回顧している。

曾是其论敌的共产党人不破哲三回忆道:“无论是国会答辩,还是在讨论会上的发言,只要将记录中的‘嗯’和‘啊’剔除掉,就是一篇条理清晰的文章……他是一位可以信赖的商议对象”。

経済から文化重視へ、地球社会への貢献など、示した未来図も真っ当だった。性に合わない壮絶な派閥抗争が命を縮めたが、評価は没してなお高い。きょうが生誕100年にあたる。

  从经济发展到重视文化建设,以及对国际社会的贡献等等,他所展示的前景也都相当靠谱。他所不擅长的激烈的党派斗争缩短了他的寿命,在他去世后,人们对他的评价依然很高。今天,正是他诞辰100周年的纪念日。


池田内閣の外相時代、ライシャワー駐日米大使から朝食に誘われ、核持ち込みの解釈が日米で違うと知る。これをぐっと腹に納めて「暗黙の合意」が成立した。それでも急死する直前まで、真相の公表を何度か試みたという。「密約」の存在は終生、心のトゲだったに違いない。

在池田内阁中担任外相时,美国驻日大使赖肖尔曾邀他共进早餐。他由此得知日美双方对于“携带核武器”存在着不同的解释。他将此事深藏腹中,使“心照不宣”得以成立。可即便如此,据说直到猝死之前,他曾做过多次公布真相的尝试。“密约”无疑是一根始终扎在他心头的刺。


首相時代に官房副長官で仕え、師と仰ぐ自民党の加藤紘一氏は「思索の人」と評した。ある時、理想の国土を説いたそうだ。「地方都市が栄え、町はずれの鎮守の森から祭りばやしが流れる」。田園都市構想の原風景だろうか。

在他任首相时担任副官房长官,并敬他为师的自民党人加藤纮一评价他为“勤于思索的人”。据说他一度曾阐述过心中的理想国形象。“各大城市繁荣昌盛,郊外的寺庙树林中节日的欢笑声不断”,一派田园都市的美好景象。

経済や社会の不備を家庭が補えればと念じながらも、「望ましい家庭のあり方を政府が示すのはよくない」とクギを刺した。言葉の数々をたどれば、日本日本人への抑えの利いた信頼に行きつく。今や消え入りそうな「良質の保守」をそこに見る。

尽管他念念不忘以家庭来弥补经济和社会的不完善,但同时也强调:“理想家庭的应有模式不宜由政府提出”。循着他的种种言论,最终会找到一种能把握日本和日本人的信心,能从中看到行将消亡的“有益的保守”。
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